起業ストーリーFOUNDING STORY
祖父と父の思いを継ぎ、
未来に向けて新たな橋を架ける
しまなみBridge株式会社 代表取締役越智 信之
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祖父と父の思いを継ぎ、
未来に向けて新たな橋を架ける
しまなみBridge株式会社 代表取締役越智 信之
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生まれたときから土木業が身近にあった。
私が生まれた当時、祖父が土木工事を中心とする建設会社「越智建設(株)」を経営し、父はその会社で働いていました。生まれてからずっと「仕事=土木」という環境のなかで育ちました。
子どものころ、現場から帰宅した祖父や父から漂ってくる土の臭いを「逞しさ」の象徴のように感じ、子どもながらも、祖父や父を通して土木という仕事の大変さや、やりがいをぼんやりとではありますが、意識していたように思います。
土木の道に進み、大阪の建設会社で修業
「越智建設の3代目は私」だというのが、身内のなかで当然のこととしてありました。私自身も、そのことを進むべき道として見据えていましたので、高校卒業後に京都府の学校へ進学し、土木工学を学びました。
卒業後すぐ地元に戻り、越智建設で働くという選択肢もあったのでしょうが、祖父から「3年ぐらいはよそで修業をした方がいい」とのアドバイスを受け、大阪府堺市の国誉建設㈱に就職しました。
国誉建設は大規模な土木工事を手がけており、優れた技術と豊富な知識を持つ先輩方がたくさんいましたので学びが多く、日々が充実していたこともあり、約6年間お世話になりました。
「祖父の意思を継ぎたい」との思いが原動力
大阪にいたころ、祖父から「戻って来て越智建設を継承してほしい」と強く望まれたのですが、先延ばしにしておりました。まだいろいろ経験したいという気持ちが強かったといいますか、当時の私は地元に帰ることで世界が小さくなる気がしていたのだと思います。
そうこうしているうちに、平成20年に祖父が亡くなり、それから間もなく、市町村合併などの時代の変化に呑まれ、公共事業を中心にしていた越智建設㈱は廃業となりました。
祖父の願いだった「越智建設の継承」に応えられなかったという思いとともに、いつかは自分が祖父の思いを継ぎ、父とともに越智建設を再開したいと考えるようになり、会社設立を決心しました。
社名の名づけの親は親友。込めた思い。
会社設立には越智建設の再開の意味もあったわけですが、一方で私の挑戦でもありました。ですから「かつて(過去)と同じ」ではなく、私の思い描く会社の未来にふさわしい社名にしたいと考えました。
若い頃から親交のある友人を故郷の今治市大島に招き、起業を考えていることを報告し、社名に思案していることを話したんです。すると、その友人が人と人との架け橋になる意味も込めて「しまなみBridgeがいいんじゃない?」と案を出してくれたのです。「しまなみBridge」の響きのよさに加え、その名前に込められたいろいろが胸に刺さり、「これだ!」と思いました。
同じような境遇を経て、現在は幅広い事業を展開している彼を尊敬していましたので、彼が名づけの親であることも意味深いと思っています。
しまなみBridgeの現在とこれから。
お取引業様や協力会社様のご厚情のもと、設立以来、様々な仕事に携わらせていただいております。今後も長く続け、「当社の歴史」と言えるようになるには、地元密着で一つ一つの仕事を誠実に行っていかなければならないと肝に銘じています。
そして人を大事にし、人のつながりを大事にし、地域に貢献する企業として歩んでいきたいと思います。事業展開の夢も描いてはいますが、まだ今はそれを語る段階にはないと思っています。まずは土木事業にしっかりと取り組んでまいります。